育休を経て職場に復帰。 歓迎して迎えてくれたチームに感謝。

A.A. さん

2014年入社 | 中途

機電 / 未経験者  自動車開発エンジニア

美容師から、
機械エンジニアへの転身。

現在は、日研の請負チームでエンジニアとして自動車ECUの搭載設計を担当しています。でも最初からエンジニアを目指していたなんてことはなかったです。私は学生時代から「手に職を付けて早く社会人として自立したい!」という思いが強いほうでした。手に職がついて独立できる、美容師を目指して、専門学校で学び、順調に美容アシスタントになり、美容師デビューを目指して下積みを積んで2年目というところで、アレルギーを起こして体調を大きく崩してしまいました。お医者さんからは「その仕事を辞めない限り生涯続きますよ」と言われてしまい、夢を断念することになってしまいました。退職したもののすぐには次の仕事のイメージが定まらなくて・・・悩んでいた時に友人から突然、「なんか建築系のCADとか向いてそうだよね」と言われたんです。美容師の経験から立体視が得意なことと、接客業で視野広く現場を捌いている様をみて言ってくれたそうなのですが、その時の私は「CAD」なんて言葉は聞いたことすらなくて。試しに本屋さんでテキストを買って学んでみたんですよね。そしたらとても楽しくって(笑)これは自分に向いてるかもしれない!と思って、未経験からCADを使った業務ができる企業を探したところ、日研を見つけたという経緯です。今でもその友人にはとっても感謝しています!よくぞ「CAD」という仕事のことを教えてくれたなあと(笑)当時は未経験の理系でもない女性をエンジニアとして受け入れてくれるような企業はなかなかなくて、記念受験のつもりで日研を受けたことを覚えています。「採用です」と聞いた時は「本当に!?」と驚きました。

元エンジニアの営業担当さんから
マンツーマンで指導。

入社後の研修は本当に不安しかなかったですね(笑)本当に何の知識もなかったので。私が入った時はまだ研修センターが立ち上がっていないタイミングで、営業オフィス内のブースを借りて、元機械エンジニアだった営業担当の方からマンツーマンで教えてもらっていました。あとから今の立派な研修センターが立ち上がったことを聞いて、すごい進化したなあと思いましたね(笑)
今でこそ、自動車の部品にはどんなものがあって、どんな経緯で作られていくかを分かっていますが、当時は「そもそも私はCADを使って一体何をやるんだろう??」というくら何もわかっていない状態でした。出される課題に答えつつも、これが正解なのか不正解なのかも分からない。そんな私に、本当に根気良く教えてくれたなあと思います。営業さんが「お世話になっております!」と営業業務をしている横で私は課題をこなして、お忙しいのに「今日は時間を取っているからとことん付き合うよ!」と時間を割いて丁寧に教えてくださって。講師を独占して、分からないことをその場ですぐに教えていただけたあの時間は、本当に貴重でした。今でも業務の土台となっていて、研修時代のマニュアルを見たりします。CADはコマンドを知らないと機能自体も知らないままになってしまうものなので、とにかくコマンドをたくさん知らないといけないんですが、ただ覚えるだけではだめで、実践で使っている人から聞かないと意味がないという側面があって。実務経験豊富な人に2ヶ月間、実践を交えて教えてもらえたことは本当にラッキーでしたね。

最初の配属は大手メーカー。
さっそく自動車開発に携わることに。

研修修了後は、大手自動車部品メーカーの設計部署に配属されました。具体的には、ガソリンタンクからエンジンに通るホースのエンジンルーム内の部分を担当しました。担当車両には複数のエンジンの種類があり、エンジンごとにホースの配置や大きさ、付随する部品が異なるので、最適なものを検討していくという業務でしたが、最初は配置の検討から担当しました。どこに置くのか、という部分ですね。この仕事は、自分の担当部品のことはもちろんですが、その先にある相手となる部品のことも理解しないといけないし、通り道にある部品も理解しないといけない。マニュアルを見ながらメモを取りながら毎日必死に勉強しました。当時の私は我ながら本当によくやっていたなと思います(笑)そのままずっと燃料系と冷却系の部品設計を担当して、合計7年ほど勤務していました。結婚もして、生活の土台もだいぶ固まってきて。経験を経るうちに、担当する部品点数が上がっても納期通りに素早く対応できるようになり、EVなど条件が変わってくる車種についても理解した上で自分で判断して確認を入れたりするようになりました。自分は日研の社員なのですが、打合せで接する協力企業の方から見たら、クライアントの会社の社員として映ってしまいますから、毅然と対応しなくてはいけませんし、クライアントの都合をしっかり守った上で相手と交渉していく必要があります。その際に対等に戦えるように勉強を積み重ねていくことで、成長できたんだと思います。その後クライアントさん側の都合でチームを縮小する流れとなり、契約期間が終わったタイミングで日研の請負チームへ異動となりました。

搭載設計を担当してさらにスキルアップ。
でも異動してすぐに体調不良に。

請負チームではECU搭載設計を担当することになりました。前の配属先とは、同じ自動車開発でも全く違う業務内容だったので覚えることが多く大変でした(笑)でも何年も樹脂製品のみを担当していたので、他の部品をやらなきゃだめだ、やりたい!とずっと思っていたので、理想通りのスキルアップができる環境にシフトできたぞ!と喜んでいました。ところが異動して3日目に、ものすごく体調が悪くなってしまったんです。異動してきたばかりなのにとても気まずかったのですが、お休みをいただいて病院に行ったんです。そうしたらなんと妊娠していることが分かって。まさかこんなタイミングで・・・職場の人になんて言えばいいか、どう思われるのか・・・ものすごく心配になりました。男性が多いチームでしたし、その頃は既婚者もほぼいなくて、上司も既婚者ではありますが男性でしたし。恐る恐る上司に話を切り出して。でも話を聞いた上司は即「ええ~!そうなんだおめでとう~~!!」と笑顔で言ってくれたんです。その瞬間、すごく肩の荷が下りて・・・安心しましたね。チームとしても育休取得者は今回が初めてとのことで、「僕も全然分からないけど、一緒に調べながらやっていきましょう!」って言ってくれました。納期が近いライトな業務を担当させてもらい、それも上司と分業して調整してもらいながら、産休が始まるぎりぎり直前でしっかり納めてやり切りました。・・・本当は最後ちょっとだけ残っちゃいましたが、すみませんがあとはお願いします!と伝えて(笑)異動からわずか半年ほどで産休育休に入ったことになります。それなのに上司が「また絶対戻ってきてね!」と言って送り出してくれたことがとっても心強くて、ありがたかったです。

チームメンバーのサポートの元、
仕事と育児の両立を叶えられました。

なかなか保育園に入れず、結局1年半ほど休むことになりました。その後、保育園になんとか受かって復帰はしたものの、今度は子供が保育園に慣れてくれなかったり、体調を崩して長期の看病が必要になることも度々あって、なかなか安定して出勤ができませんでした。でもその頃、ちょうどコロナ禍の影響や配属先の都合で在宅環境強化中だったこともあって、在宅勤務にさせてもらえたんです。通勤時間が無くなるので、非常にありがたかったですね。もともとフレックス制度があり途中の離業もOKだったので、育児と並走しやすい最適な労働環境になりました。振り返ると、産休に入る前の半年間に、今のチームに異動になったことは非常にラッキーでした。信頼できるチームメンバーがいて、ちゃんと自分には帰る場所があって、そこに帰るぞ!という気持ちでいられたのは大きかったですね。ひとりで溜めこまないで、まずは信頼できる上司や営業の方にとにかく話してみることが大事だなと思います。ひとりでもふたりでも、話しやすい相手から話してみて、そこから話を広めてもらえば、やりやすいのかなと思うんです。
あの時、日研に転職してよかったなと本当に思います。日研の社員として、自動車業界の一員として働けていることに日々とてもやりがいを感じています。搭載業務では3DCADを主とした検討以外にも他部者との調整業務をさせていただいてます。より良いコミュニケーションの取り方や調整の仕方について、上司や同僚に助けられながらではありますが、私が直接やり取りをさせていただくことによって経験が重なり、自信にもつながります。また、助けてもらっているからこそ上司や同僚に認めてもらえるように頑張ろう思えますし、その気持ちが、次の打ち合わせまでの資料改善や新しい提案を生み出していく活力になっています。一人前に成長して今のチームから巣立つ時が来たら、新しい請負チームの発足に貢献するのが夢です。ここで倒れるわけにはいかないと思って(笑)日々がんばっているところです。

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